色々な海外アニメを見ているにもかかわらず、これまでハズビン・ホテルにはノータッチだった。アマプラでの配信開始に周囲が大騒ぎしている。たまには流行の波に乗ってみるか。そんな軽い気持ちで視聴した本作は、露悪的で不謹慎な18禁描写の下に心に傷を抱えた大人たちへの寄り添いと癒しが包まれていた。
あらすじ
地獄では年に1度、天国の使者アダムは天使の軍団を率いて人口削減を名目に殺戮を繰り広げる。罪人たちを昇天させて人道的に罪人の数を減らすため、ルシファーの娘で地獄のお姫さまチャーリー・モーニングスターは「ハズビン・ホテル」を開き住人の救済を試み始めた。
見過ごされがちな大人のメンタルヘルスケア
肉体の健康をケアする重要性が広く知られているのに対し、精神面の健康と不調は見過ごされがちだ。子どもだと、まだ周りの大人に気付かれて支援につながりやすい。ところが成人になった途端に自己責任扱いされる風潮が根強い。
メンタルの問題は色々な出来事の積み重ねによって発生する根深いものだ。自分では防ぎようがなかった辛い体験、成育環境、その他あらゆる要因が影響している。にもかかわらず、そうなったのは全部あなたの選択だ、とばかりに自助努力を求められてしまいがちだ。それどころか過去に囚われているのは精神的に成長していないからだ、と軽蔑されることさえある。
こうした環境にいると、辛い時に誰かに助けを求めるのが難しくなってしまう。本当は救われたいのに、自分がこうなったのは自業自得だ。自分みたいな最低な人間に助けられる価値なんてないと言い聞かせて平気なふりをして心の傷に蓋をする。ハズビン・ホテルは、そんな人々を癒し救いの手を差し伸べる場所だ。
みんなの中にある善を見出すチャーリー
ホテルの発案者チャーリーは、殺伐とした世界に燦然と輝く地獄のプリンセスだ。根っからピュアな心の持ち主の彼女は、罪人たちに善の心があると信じて疑わない。
中毒や依存症を筆頭にあらゆる問題を抱えたホテルの住人に対して、それぞれにいい所を見出し、欠点もその人らしさとして受け入れる。相手が裏切り者のスパイだとしても、決して見捨てない。地獄に似つかわしくない生来の優しさと純粋さで、彼女はホテルにきた者の心を癒す。
チャーリーは決して完璧なプリンセスではない。世間知らずで危なっかしいところがあり、よかれと思った行動で人を傷付けてしまうこともある。それでも失敗を重ねながら彼女は成長していく。
自分の長所と短所をどちらも受容できるからこそ、チャーリーは他の人のよさを見出し、相手が恥じている欠点や失敗も受け入れられるのだ。そんな彼女のホテルで、罪人たちは徐々に癒される。
ホテルで癒されていく罪人たち
ハズビン・ホテルにくるまで罪人たちは、心から安心できるとは言えない環境にいた。支配者から搾取されていたり、孤独だったり、失敗を許されず、常に自分を強く見せないといつ誰に付け込まれるかわからない。日常的に仮面を被り、不健全な方法でその苦しみを麻痺させる日々を送っていた。
彼らにとってハズビン・ホテルは、自分を信じて受け入れてくれる初めての場所だった。素の自分を見せたり失敗しても、誰かに馬鹿にされたり見下される心配がない。殺伐とした地獄で生き抜いてきた者たちにとっては、生まれて初めて安心して障壁を下せる居場所に違いない。
もちろんホテルにきたからすぐに状況が解決に向かう訳ではない。例えばセックス・ワーカーのエンジェルダストは暴力的な契約主から逃れられていない。バーテンダーのハスクも上級悪魔でホテルの運営を手伝うアラスターの支配下にいるままだ。
でも作中歌’Loser, Baby’でハスクがエンジェルに歌いかけるように、どん底でも一人じゃない。同じ負け犬の仲間と居場所がいる。心の拠り所になる安全基地を得た罪人たちは後ろを向きつつ前向きになっていく。そして自分も周囲の人も大切にし、居場所を守るため立ち上がれるようになったのだ。
こじれた大人への癒しの物語
ハズビン・ホテルは傷ついた人たちが欠点だらけの自分が受け入れられる居場所を得る。そして自分自身と周りの人を受容して少しずつ前を向き始める物語だ。連発されるFワードと下ネタに包まれているのは、色々と抱えた大人たちへの優しい寄り添いとエンパワメント。
不謹慎でカオスながら根底にある倫理観がしっかりしている本作は、清く正しい「善き人」になれなかった自分には居場所がないのか?ダメな自分に救われる資格はあるのだろうか?と苦しむ人たちの救いになるだろう。
現実世界は地獄よりも地獄的である。勇気をかき集めて助けを求めても応じてもらえず、SOSを呼ぶ声を封じられ見過ごされてしまうことも少なくない。だからせめて物語の中では、苦しんでいる人が助けを求めたら必ず手を差し伸べられる。そして過ちを犯した人にもチャンスが与えられる居場所があってほしい。