アウルハウス 新たな魔法のあり方を描いたファンタジー

注意:この記事にはネタバレが少し含まれます。ストーリーの根幹に関わる内容は書いていませんが、気になる方は本編を視聴後に読むことをお勧めします。

 

 

似て異なる二つの物語

『アウルハウス』は魔法学校や箒に乗ったスポーツといった典型的な魔法ファンタジーものに見せかけてそのお約束をひっくり返した作品だ。特に魔法学園もののベストセラー『ハリー・ポッター』シリーズとは似た要素がありつつも、実際は対極的なテーマを描いている。異世界召喚ものとロー・ファンタジーの違いの影響はあるだろうが、随所に異なる点が見受けられる。

 

みんなの学校と選ばれし者の学校

作中に登場する魔法学校の方針から、すでに価値観の違いが伺える。『アウルハウス』に登場する【ヘキサイド魔法魔術学校】は門戸が開かれた学校だ。魔法が使えると証明できる人なら誰でも入学・編入できる。ルースは生まれつき魔法が使える魔界生まれの子供たちとは異なり、魔法陣を描く方法で編入を認められた。生徒は自由に専攻を選べ、作中では途中から希望者は複数の専攻を掛け持ちすることが許される。通学生の学校であることから学外での行動の制限はない。

 

対象的に『ハリー・ポッター』のホグワーツは選ばれし者の学校。表向きはハーマイオニーみたいに普通の人間【マグル】出身者も入学が許されている。その実態は血統主義で、マグル出身者は魔法族に生まれながら遺伝子を引き継がなかった者【スクイブ】の先祖返り。その他のマグルの子はどれほど意欲があっても入学できない。何を学ぶかは三年生以降に多少の自由が与えられるが基本は固定。全寮制で敷地内と近くのホグズミード村以外への移動は禁止されている。

 

カヴン制度と組み分けの儀式

『アウルハウス』は個を大事にする流動的な社会制度を理想としている。最も顕著なのが作中の世界にある【カヴン制度】の批判だ。魔界にはカヴンという異なる分野の魔法に特化した組織がある。魔法学校を卒業後に入団が義務付けられ、一度入ると特殊な印によって所属するカヴンの魔法しか使えない。拒否すると皇帝から指名手配され、刑罰として石化されてしまう。

 

カヴン制度にはメリットもいくつかある。卒業後に一律で入団するため学歴格差が少なく、入りさえすれば生活が保障されるので貧困に苦しむ人は見受けられない。使える魔法は制限されるものの、得意分野や好きな分野の仕事ができる。

しかし法を犯してまで無所属を貫くイーダの姿勢からも、作中では個人の可能性と自由を抑圧する社会システムとして否定されている。

 

一方『ハリー・ポッター』は【組み分け】を通じて固定的な社会制度を書いている。新入生は入学したその日に頭に組み分け帽子を被る。知性を持ったその帽子が異なる特徴の四つの寮の中からその子にふさわしいと考える寮を選ぶ。一度決められると卒業するまで同じ寮生と寝起きを共にし、スポーツなどのイベントは寮ごとに競い合う。社会人になってからも寮の中での友人関係や寮同士の対立がその後の人間関係にも影響し続ける。

 

作中では寮制度の問題点もいくつか挙げられている。生徒が必ずしもふさわしい寮に組み分けられるとは限らない。グリフィンドールとスリザリンの対立は人間関係の不和の一端を担っている。こうした欠点を書いているが基本的にこの制度を否定していない。基本的には居場所を得たハリーを通じて、所属によって絆が深まり、帰属意識に誇りを抱き、アイデンティティを確立できるものとして描かれている。

 

ジェンダーと多様性

ジェンダーの多様性は『アウルハウス』最大の特長と言っても過言ではない。作中には男と女はもちろんのこと、イーダの元恋人レインのようなノンバイナリーや性別が明かされてないキャラクターもいる。性的指向もルースはバイセクシュアル、ゲイやレズビアンカップルや女性と中性の元カップルの存在も描かれている。恋愛に興味がある人だけではない。イーダの姉リリスは、アセクシュアル&アロマンティックという他者に恋愛感情や性的欲求を抱かない者だ。

 

こうした人間模様の中でも特筆すべきは、主人公ルースと同級生アミティの恋愛。全年齢向けアニメとして初めて少女同士がお互いに惹かれ合い、恋に落ち、付き合う中でお互いを深く理解し、絆を深めていく様子を丁寧に描いている。

 

ハリー・ポッター』の性の価値観は伝統的なものが極めて多い。作中では女の活躍が多く見受けられ、主人公側では優等生のハーマイオニーや副校長マクゴナガル、敵陣営にもヴォルデモートの側近ベラトリックスなど手ごわい女性が登場する。またウィーズリー兄妹の母親で主婦のモリーなど彼女たちが活躍する方法は多様に満ちている。

 

しかし登場人物の性別は男性と女性のみ、無性や両性、または体と心の性別が一致しない人は全く登場しない。全寮制学校が舞台である以上は恋愛の描写も多いが、男女のカップルのみ公に書かれている。闇の魔法使いグリンデルバルトがダンブルドアの元親友で恋人という設定は、本編完結後に公表されスピンオフの『ファンタスティック・ビースト』シリーズで取り上げられている。

 

またハリーを始め多くの生徒は、卒業後に同じ学校の同級生や卒業生と結婚し家庭を持つ。望んで独身を貫く登場人物はあまり見受けられなかった。

 

作品の背景

アウルハウスは現代の理想の社会を目指す物語。それは流動的な居場所を持つことで個性を最大限に生かし、多数派と価値観が違うマイノリティも自然に受け入れられるといった自由が保障される世界だ。監督のダナ・テラス氏自身がバイセクシュアルだと公表しており、多様な存在が認められる世界を大切にしている。

 

特筆すべきは『ディズニーのブランドに合わない』という理由で話数を大幅に減らされたにも関わらず、従来の作品では打ち切りを避けるためシーズンの最後に入れることが多かったLGBTQIAの描写をシーズン1からしっかり入れたことだ。シーズン3の1話でルースがバイセクシュアルだと母親にカミングアウトする場面からも、監督がこのようなテーマを真摯に扱っていることがわかる。

 

特筆すべきはジェンダーの多様性のみならず、あらゆるマイノリティについて取り上げていることだ。ヒロインのルースがその代表で、ドミニカ系アメリカ人でADHDの傾向がある。人種やニューロダイバージェント(脳機能の多様性)は、現代だからこそ焦点が当てられる。

 

一方ハリー・ポッターは特権を持った者が揺るぎない伝統を維持する世界。マグルとの混血を受け入れるなど、変えるべきところは変えながら途絶えるリスクがある血統と文化を守る世界観だ。ホグワーツも学費無償という点以外は、上流階級の子弟が通う寄宿学校パブリック・スクールがモデル。四つの寮は英国の階級制度を風刺しているといった歴史が長い国の背景が垣間見える。

 

作者J.K.ローリングは自身が元夫からDVを受け、貧困の中で執筆を続けたシングルマザーだった。自身が苦しんだ経験から女性や子供たちの権利を大切にしている。多様な年齢や職業の女を作品に登場させたのもそういった背景があるだろう。他にも人狼のルーピン先生など、不治の病により社会的ハンデを背負うキャラクターがいるなど弱者にも優しい視点を向けている。

 

その反面、トランスジェンダー女性は女性ではないという趣旨の主張をツイッターで行うといった保守的な一面が垣間見える。ジェンダーに関する描写が極めて少ないのは当時の児童書で扱えなかった以外に、作者の思想が反映されていると考えられる。

 

多様性が伝統を打ち破る

『アウルハウス』と『ハリー・ポッター』は実に対照的なファンタジー作品だ。一方は革新、もう一方は柔軟な伝統を重視している。どちらにも異なるよさがあるものの、前述のJ.K.ローリングの発言に失望してホグワーツを去り、ヘキサイドを新たな居場所にした者が少なくないのは事実だ。あの言動は居場所がない子の心の拠り所を提供しながら、一部の人を締め出す行為とも捉えられてもおかしくない。

 

『アウルハウス』がハリポタの影響を受けているのは事実で、作中にはカヴン制度の他に、金のコガネムシを取れば大量の得点がチームに入るスポーツといったパロディが見受けられる。それらはホグワーツの学校生活を揶揄した可能性が極めて高い。

 

魔法学校の門戸を生まれつき魔法が使えない人に開き、個性が受け入れられる現代の理想を描いた本作はファンタジーの新たな金字塔となった。時代はスクイブが見捨てられる世界から、魔力がないハンディキャップがあっても別の方法で魔法使いになれる時代へと変わっていく。多様性を認める『アウルハウス』はこれからのファンタジー作品の魔法のあり方を大きく変えていくだろう。